身体を動かすことの意味はなんだろう?
と最近よく考えてます。
いや、身体を動かすことの意味、というよりは、
より身体を動かすことが出来るようになるための成長は、
どういう意味があるのだろうか?
と考える時間が増えています。
でも、考えるだけでは、答えに行きつかないまま。
僕にとっては、良くある事です。
昨日、公園で何気なく動いてみたんですが、
その時間がすごく楽しくてある意味驚きました。
天気が良くて、自由に動ける空間があって、自由に動かせる身体がある。
それはすごく豊かなことで、
なんというか身体を動かすことの本質を現しているような気がしました。
それは解放感を味わう、自由を味わう、
ということであると思います。
そして、たぶんそれら解放感は、
ある種の身体的な成長を遂げた後でないと味わうことが出来ない。
何かにとらわれずに自由に動き回るには、
ある種のルールという制約に基づいた技術を習得し、
それを成長させていかなければいけない。
そうして窮屈な自己成長という道を進んでいると、
ふとした瞬間に急に視界が開けていることに気づく。
「あれ、何か勝手に身体がうごくなぁ」
なんてことに気づく。
なんかこういうアンビバレンスが面白いなぁと思うわけです。
制約の中に入っていくことで、逆説的に自由を感じることが出来る。
この辺りが、身体を動かす、身体能力的に成長する意味なのかなぁ、
なんて今日も考えています。