休むこと、について

こんにちは、GRILOです。

最近はずっと身体の意識のとおり方について、

自分自身の身体を使って考えていました。

この1年ほど、私は左脚の付け根、

股関節にあたる部分を痛めており、

それがどのような運動の影響によるものか、

そしてそれがどうすれば悪化し、

またどうすれば治っていくのかについて、

多角的に考えてきました。

また、

同時にカポエイラにおいて、

怪我をせずに練習を継続し、

年齢を重ねても楽しむ、という命題も考えておりました。

カポエイラは全身運動であり、

瞬発的な動きを必要としているので、

意識が抜ければ怪我をしてしまうリスクを常に孕んでいます。

そして、

年齢が上がるにつれてその治療には時間がかかるようになる。

カポエイラの参加者が多様化するにしたがって、

当然のことながら私よりも年齢を重ねた方も多くなってきました。

むしろ、40代50代の方の方がよほど積極的にレッスンに参加され、

会員の数もその年代の方がかなり多く含まれています。

そのため、

カポエイラを怪我をせずに長く楽しむ、

ということについて考えを巡らせることが、

とても重要になってきているんです。

とはいえ、そのこと自体に何らかの結論が出たかというと、

いまだにこれというものは見いだせていません。

世の中にこれだけの治療方法が溢れているにもかかわらず、

相変わらず「治らない」人々もまた溢れているのは、

一般的・普遍的な答えにたどり着く難しさ、

あるいはそういった答えが存在しない可能性を示唆しているとは思います。

ただ、

僕の見地からわかったこともあります。

それは、

怪我が治りにくい・怪我をしやすい人は、

休養をとるのが下手である、ということ。

自分に厳しく当たることが正義であったり、

あるいは練習や運動を止めることに恐怖心を抱く、

そういった心持の方が非常に多いという点です。

ストイックさ、というのでしょうか、

そういったもが何某かの美点を持っていることは、

私にとっても否定するところではないのですが、

それらによって肝心の身体能力が落ちているならば、

それは本末転倒であり、

一度立ち止まって考えるべき時間が来ている、

ということのように思えます。

そういう人々にはぜひ休養を取る時間が必要なわけです。

では、

休養とはどのように取ればいいのか?

もちろんただ寝転がっていればいいとか、

一日風呂に入ってすこしゆっくりするとか、

そういったこともあるでしょうが、

基本となることは「知識をつけること」であると思います。

そして、休養とは、休むことを指すのではなく、

具体的に自分の身体を全快させるための計画、

としてとらえるべきです。

そのうえで自分自身の現在の身体が、

どのような使い方をした結果として今のようになったのか、

それはどの関節・筋肉にあたるのか。

それについてどのようなアクセスがあるのか。

そういった知識があって初めて、

具体的な休養が成り立つように思います。

そして、休養というのは「管理」が必要なものであると考えています。

リラックスして、たまたま治る、

というのが休養というのではなく、

具体的に管理して、

結果についてフィードバックが可能である、

というのが休養といえると思うのです。

そして、それらを踏まえると、

個別具体的な自分自身の休養計画を、

自分自身と周囲のサポーターを通じて作成し、

実行できる自分である、

ということが最も重要なことだと言えるのではないでしょうか。

休養するにあたり一番必要なのは、

その人自身のあり方、

目的意識になるということです。

そしてそれさえあれば、

個別具体的な治療方法などは自ずと拓けてくると考えられます。

そういうわけで、

私も自分の股関節の怪我については、

様々な切り口から休養をさせることを実験しています。

カポエイラをしながら、休養をとる、

なんてことも、可能になるかもしれません。

目的意識が具体的ならば、

形を創ることが出来るはずですからね。